普通の動物病院の診療日記

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shu

小さな町の動物病院の獣医師です。

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Oct 21, 2008
泣かないであげて
この子のために、
どうか泣かないであげて
あなたの涙は
この子の悲しみなんです
だから泣かないで

どうか嘆かないであげて
あなたの嘆きは
この子の苦しみなんです
だから嘆かないで

どうか自分を責めないで
あなたの後悔は
この子の恐怖なんです
だから自分を責めないで

あなたのこの子は、残されたいくらかの日々を
あなたとともにどれほど楽しく生きられるか
あなたとともにどれほど笑って生きられるか
それがこの子にとっての幸せなんです

あなたの笑顔は
この子の喜びになるんです
だから嘘でもいいから笑っててあげて

あなたの笑い声は
この子の生きがいになるんです
だから嘘でもいいから明るくしててあげて

あなたの勇気は
この子の力になるんです
だから、あきらめないで

あなたとこの子が幸せであるように
僕は心から祈っています
本当に心から

だから泣かないであげて
だからわらっててあげて
この子のために
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Jul 01, 2008
閉めることにしました(涙)。

長らく悩んでいましたが、勇気を出してこの日記を閉めることにしました。

約3年間、本当にありがとうございました。

 

この日記を始めた時、僕の病院は僕と嫁さんを含め獣医師4,5人体制でした。

現在、嫁さんと二人獣医師体制でやっています。

単純に仕事量が倍になりました。

 

僕はとにかく時間をかけて病気や治療の説明することを自分の方針としています。

抗癌剤などを使うような場合、また、全身麻酔をかけて手術をするような場合はたとえそれが避妊手術や去勢手術といった簡単なものであっても常に最低30分から1時間をかけて説明しています。

 

この時期、多い日で100件近い外来があり、昼食を取ることもままならない日もあります。

獣医師二人でそれをこなすことは、もはや限界を超えた状況です。

それでも必要な説明だけは絶対にやめません。

いい加減な診療をすることは絶対にしません。

動物を愛し、家族のように思われている飼い主さんたちへの当然の義務だと思っているからです。

 

しかし、特に最近感じることは、動物達の死を受け入れることのできない飼い主さんが多すぎる・・ということです。

そういう飼い主さんは長い時間いろいろと話していかれます。

時にはずーっと病院で泣いていかれる人もおられます。

僕らはできるだけお話を聞いてさしあげ、できる限り飼い主さん達の心の傷や痛みをとってあげようと努力しています。

でも、これって本当は僕ら獣医師ではなく精神科のお医者さんの仕事なんです。

僕には人間の心理学や精神医学の知識はありません。

それでもできるだけのことはしてさしあげたいと思っています。

 

あまりに間違った情報が氾濫しているネットの世界で、この日記はいろいろな病気情報の正確な発信源となればいいな〜と思って始めました。

一つ一つの記事はきちんと調べて間違いのない記事に仕上げています。

同時に動物病院でどんなことが起こっているか、獣医師をはじめ、スタッフのみんながどんな風に動物にかかわっているか、そういうことを知っていただきたくて始めたわけです。

 

でもやっぱりいろいろな病気の相談を受けることが多くなってきました。

それは当たり前のことです。

飼い主さんの気持ちとしてはなんとなく相談しやすそうな(優しそうな)獣医さんのブログをみつけたら相談したくなるお気持ちは当たり前だと思います。

 

僕は性格なんでしょうか、そういう相談に対してその場限りのいい加減なお答えができないんです。

なるべく正確なお答えをするため、一生懸命調べたり勉強したりしてお答えをさせていただいていました。

 

しかし、それに費やす時間は膨大なものとなり、かなり負担が増してきました。

時間というものは、まずはうちに来ていただいている飼い主さんや動物を優先すべきだと思います。

 

今まで応援してくださったみなさんには本当に申し訳なく思いますが、僕はうちの病院を慕って来てくださる飼い主さんたちのためにこそもっともっと時間を費やしていきたいと思います。

 

自分自身に時間的余裕ができたら、このブログを再開することもあるかもしれませんが、それまでは閉じさせていただくことにします。

協力隊の日記も中途で終わってしまいますが、どうかお許しください。

 

3年間の記事のなかにはきっとみなさんにとって有益な記事があると思います。

たくさんの飼い主さんからの書き込みもとっても有益なものがあります。

1ヶ月くらいはこのまま残しておきますので、できれば過去記事を読み直していただき、お役に立てそうな内容があればどうぞ参考になさってください。

 

ほんと、どうもありがとうございました。

1ヶ月も更新しないブログがいつもランキングに名を連ねていること、それだけみなさんが応援してくださっていたんだと心から感謝しています。

 

今まで書き込みをしてくださった方、そしてブログやHPをお持ちの方のところには時間が許す限り遊びに行きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ありがとうございました♪♪

May 30, 2008
昔のお話し 9

1212124603053164.jpg

なかなか続きがアップできませんでした(汗)。

 

村に入って2ヶ月くらいが経過し、下宿先を中心にあちこちをうろうろし始めました。

ほとんどのうちに乳用の牛が1,2頭飼われており、家の周囲を自由に歩き回っていました。

 

 

牛のほかには移動用の馬、ロバ、ラバ。

卵や肉用にニワトリ、アヒル、ホロホロ鳥。

肉用に豚や羊、ヤギなどが人間と一緒に暮らしていました。

 

1212124577654606.jpgペットのワンコやネコもいましたよ。

 

僕は獣医師ってことで村にいましたが、自前の聴診器くらいしかもっておらず、初めのころはまったく仕事にはなりません。

 

今のようなメールはもちろん、電話すらない村ですから僕の存在そのものはなかなか村中に伝わることはありませんでした。

 

現地の職員と相談して、村の中の地区ごとに村人を集め僕の存在をアピールし、人工授精のことや動物の病気の治療のことなどを宣伝してまわることにしました。

そうしてまずは自分の存在をアピール、将来の仕事のための啓蒙活動。

僕は2年間でどれだけの仕事ができるかって言うよりも、僕の後に続いてこの村にやって来る交代隊員のためにまずは土台作りをすることが最も大切だと考えました。

 

それにしても言葉が通じないことの悔しいこと、悔しいこと。

偉そうにドクター(スペイン語ではドクトール)を名乗っていても、幼児並みの会話しかできないのですから、おそらく最初は村人にかなりバカにされていたと思います。

 

下宿先では夜になるとロウソクやランタンの明かりの下、毎晩スペイン語の辞書を読んでました(笑)。

大きな町に派遣された隊員は、同じ町に他の職種の隊員がいたりするため、夜は隊員同士で集まったり飲んだりができます。

僕の場合は完全に一人だったので、まったく日本語を使う機会がありませんでした。

その代わり、スペイン語は飛躍的に上達しましたよ。

人間、なんとかなるものなんですね(笑)。

May 14, 2008
昔のお話し 8

スタッフが帰ったあと、家族は僕に気を遣ってくれて一生懸命話しかけてくれました。

子供相手に話しかけるよう、ゆっくり丁寧に簡単な単語を使って僕のことを尋ねたり、自分たちのことを自己紹介したり。

僕も懸命に頭を回転させるのですが、おそらく2割も通じなかったのではないでしょうか。

少なくともこの人たちは自分に敵意や害意はない、これからの2年間、下宿先のご家族としてお世話になることだけは間違いないのでした。

 

しばらくしていると僕の仕事のバートナーとなる人がやってきました。

国の農業省の出先機関となる事務所があるとのことで、これからは彼と一緒に人工授精を広める活動を始めることになっているわけでした。

 

彼もどんどん話しかけてきますが、一般の生活用単語ですらままならないのに、農業用語や獣医学用語など専門用語がどんどん出てくるともうどうにもなりません(涙)。

しばらく僕に話しかけていた彼は「どうやらこいつ言葉がほとんどわからないみたいだ。こりゃどうにもならないなぁ。」と思ったらしく、「また明日。」と言い残して帰ってしまいました。

 

これから本当に仕事なんてできるのかなぁ・・・、ますます不安が・・・。

 

凹んでいては何も始まりません。

翌日からはとりあえず村を歩き回ることにしました。

テレビもなければ新聞もない(一部の家では車のバッテリーを使い小さな白黒テレビを見ることができてはいましたが)、そんな村です。

僕が歩いているとそれはそれは珍しそうに見られます。

外国人なんて生まれて初めて見るっていう人もたくさんいました。

 

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村は貧しく、子供たちは靴を履いていない子がほとんどですが、明るくきれいな目を持っていました。

最初は僕のことをおっかなびっくりで、なかなか近づいてきませんが、慣れると次々と仲間を呼んで増えてきまました(笑)。

 

残念ながら多くの子供たちにはスペイン語も通じませんでした。

 

 

 

 

 

 

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その国の原住民たちの言葉が残っており、学校へ行かなければ、また、スペイン語のできる家庭に育たなければスペイン語はわかりません。

 

それでも子供や動物たちにはずいぶん救われたような気がします。

 

早く仕事を始めなければ。

しかし、よく考えてみたら人工授精の道具なんて何一つこの村にはありませんでした。

 

何しろ人工授精なんてまったく知らない人たちがほとんどですから、広めるにしてもどうやればいいんだろう、どう説明すればいいんだろう、という所からのスタートでした(笑)。

2年の間に一度でも実際に人工授精ができるんだろうか、って思うくらいのんびりした時間が流れていくのでした。

 

May 01, 2008
昔のお話し 7

続きです。

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ジープは赤土の道をどんどん国道から離れていきます。

 

広い草原を走ったかと思うと突然暗い森の中に入ったり。

 

2本の板がかけてあるだけの橋で川を渡ったり。

 

道があるということは奥に村があるということなのですがなんとも不安です。

 

 

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時にはこうして白骨化した牛の死体もありました。

死因は何かわかりません。

 

自然に生えている草しか食べていないのだし、病気になっても治療は受けられないのだから、弱いものから死んでいき、強いものが生き残るという自然に近い環境でした。

 

ここでの僕のお仕事はこうした動物たちを少しでも減らすことなんだろうな・・・と、考えながら村をめざしました。

 

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村が近づいてくると、土地に柵がしてあったり、ロバが道路を歩いていたりします。

 

「もうすぐだからね。」とスタッフが言います。

どきどきです(笑)。

 

やがて民家がぽつぽつと現れ始め、住民が道路や庭先に見られるようになりました。

車が全部で4,5台しかない村です。

僕らの乗ったジープが通るとみんな珍しそうにこちらを見ます。

で、乗っているのが東洋人だとなると、さらに珍しそうに見てきます(笑)。

 

僕らを見ている人も気になりますが、その辺をうろうろしている牛や馬、豚に羊に犬とか猫とか、ニワトリやアヒル、見たこともない鳥なども気になります。

何しろこれから2年間、この村でそれら動物たちを相手に仕事をしなければならないわけですから。

ドッグフード以外は与えてはだめですよ〜、なんてまったく通じないでしょうね(笑)。 

 

次第に家が多くなってきました。

そしてジープは村の中央に入りました。

一軒の家の前で止まります。

 

「ここが君の下宿先だよ、セニョール。」とスタッフが言います。

家の中からご主人らしき男性と、その奥さんらしき人が出てきました。

男性はスペイン系のダンディな人でした。

奥さんは明るい笑顔満面でした。

 

習ったとおりのスペイン語で挨拶します。

握手をします。

片言の挨拶を聞いたご主人と奥さんが「おお、スペイン語ができるじゃないか〜。」という感じでペラペラと話しかけてきます。

・・・、まったくわかりません(涙)。

 

しばらくスタッフを交えて(通訳してもらいながら)話しをしていると、突然スタッフが「じゃあ、僕は暗くなる前に帰るから。2年間頑張ってね。じゃあね。」と言ってさっさとジープに乗り込むではありませんか。

え〜、ちょっと待ってくれよ、いきなり帰るの?ちょっと、ちょっと〜(涙)。

 

でもジープは非常にもブイ〜と赤い土ぼこりを立ててあっさりと走り去っていきました。

 

このときの心細さはおそらく今までの人生で最大のものでしょう(笑)。

何しろ、今、この瞬間からこの村に一人ぼっち・・・。

いや、正確には村人や新しい家族がいるのだけど、何しろ言葉がまだ通じない・・・。

 

いやー、まいった、まいった・・、でした。

Apr 25, 2008
昔のお話し 6

ついに出発の朝になりました。

けっこうどきどきしています。

不安と期待、正直なところ不安のほうがはるかに大きいですね。

 

言葉はどれくらい通じるのか、どんな人の家に下宿するのだろう、友達はできるのか、とにかくうまくやっていけるのだろうか・・・。

 

やがて日系人の現地スタッフの方がジープに乗って迎えにきました。

「出発するけど準備はできた?」

「はい。」

「じゃ、行こう。」

「・・・、はい。」

 

僕の感傷なんてまったく気にも留めないで彼はあっさりと僕を車に乗せました。

何年もの間、大勢の隊員を任地に運んでいる彼にとって、僕は大勢のうちのただの一人にすぎません。

人はいつもなんとなく自分自身を心の中で物語の主人公にしているものですが(僕だけかな・・笑)、こういう時に自分は主役ではなく、ただの一人なんだと気づかされます。

それでもただの一人であってもどきどきしていることに変わりはありませんでした(笑)。

 

ジープはやがて首都を離れ、国道をどこまでも進んでいきます。

国道沿いの町にある家やお店は近代的ですが、郊外に出るととたんに貧しい家に変わります。

南米によく見られる赤い土、牛・馬・豚・ロバ・ヤギが平気で国道近くを歩き、ニワトリやアヒル、ノーリードの犬もうろうろしています。

国道は意外と交通量が多いのですが、ほとんどの車はボコボコで日本みたいにきれいな車は皆無と言ってよいでしょう。

赤い埃を巻き上げてがんがん走っていきます。

トラックの荷台にはヒトや荷物や、ニワトリやらわけのわからないものが満載です。

 

いずれにしてもこんな景色はテレビでしか見たことがありませんでした。

と言うより、当時は南米だとかあまりテレビでも見る機会はありませんでしたね。

南米旅行のツアーなんてあまりなかったため、日本人の観光客もほとんどいませんでした。

 

そして3,4時間のドライブのあと、ついに車は国道を直角に曲がり、赤い土の道へと入って行きます。

そこから90kmほど奥に僕が住むことになる村があるのだそうです。

景色は先ほどまでの国道沿いとは一変します。

 

無人の赤い大地がどこまでも広がっていました。

 

Apr 23, 2008
昔のお話し 5

さて、派遣国ごとに分かれた僕らは、それぞれの国へと旅立ちます。

同じ訓練を受けてきた仲間たちとしばしのお別れです。

メキシコのホームステイ先の家族ともたった6週間の生活だったにもかかわらず涙の別れでした。

 

そして2年間の活動が待つ国の首都に到着。

先輩隊員や現地事務所の方々からの歓迎や様々な説明を受けたあと、今度は一人一人が自分の活動する任地へと向かうわけです。

 

僕が活動する予定だった任地はすでに日本にいるときにわかっていたので、ある程度の想像をしていました。

国道沿いにある町。

国道沿いには電気も通っているし電話も来ている。

バスも通るから首都に行くのも比較的簡単。

こうした国は大きな道路、国道が数本走っており、その道沿いにある市や町は比較的発展しています。

しかし少し奥にはいると電気すら来ていないところが多かったです。

 

しかし、実はメキシコにいる時に、メキシコの駐在員の方からこんな話しを聞かされていました。

「あなたの行く予定だった町は、あなたを受け入れないことになったそうです。なんでも選挙に立候補していた人が日本から協力隊員を受け入れるということを公約に掲げていたそうですが、その人は選挙に破れ、受け入れ予定がなくなりました。」

 

「・・・。」

 

「実はその代わりに別の候補地もあるらしいのですが、現地の事務局のスタッフも行ったことがないし、少々不便な場所らしいのです。もうしばらく調査をして、その上で実際に隊員を派遣できるかどうか決定することになるそうです。あなたはあくまでボランティアですから、新しい任地が嫌ならここから日本に引き返されてもいいですし、派遣される国の首都まで行って待機されててもよいとのことです。」

 

「・・・。」

 

協力隊員はあくまで日本国が派遣するボランティアですので、国に保護されます。

あまり危険性の高いところや、国の保護の手の届かないところへの派遣は原則的にありません。

 

で、僕ですが、ここから日本へ帰ってもいいと言われても、せっかくここまで頑張ってきたし、次の機会があるかどうかもわからないので、とりあえずその国の首都まで行くことにしました。

 

2週間程度のオリエンテーションのあと、次々と任地へと旅立っていく仲間を見ながら自分が行くことになる任地からの情報を待ちました。

少しずつ情報が入ってきて、なんとなく輪郭が見えてきます。

電気はない。

水道もない。

電話は村に一つある。

どうやら国道から数十キロ奥に入った村らしい。

日本人はもちろん外国人は一人もいない。

などなど・・・。

 

最終的にその国の事務局の方と相談して、その村で働くことに決めました。

仕事の内容は「混牧されて自由に交配している牛に対して人工授精を施し、村に人工授精の技術を広めること。また病気の家畜の治療、予防等。」みたいな感じでした。

そして同期のみんなから遅れること2週間、ついに僕の出発する日がやってきました。

Apr 13, 2008
昔のお話し 4

なんか大げさな感じだったので題名を変更いたしました(笑)。

 

さて、協力隊合格通知をもらい、冬の国家試験にむけて勉強しなければなりません。

ところがどうも緊迫感にかけるというか、土壇場にならないとやる気のでない性格のため、国家試験の直前までほとんど勉強せずに南米のことばかり考えていました(笑)。

僕の行く国のこと、派遣予定の町のこと、日本で調べられることをいろいろ調べました。

今のようにインターネットがなかったので、OBが書いた資料がありがたかったです。

そんなこんなで希望や妄想は膨らむばかりでした。

 

それでもなんとか国家試験に合格し、晴れて獣医師の資格を手に入れました。

卒業後、臨床経験がないため、「北海道で3ヶ月間、家畜の診療所に入り臨床経験をつんで来なさい」というのが協力隊事務局からの指令でした(笑)。

アパートを借りて3ヶ月間研修生として臨床経験を積みました。

もちろん、たった3ヶ月で一人前になれるはずもありませんが、それでも何もしないよりはマシっていうかんじでしょうか。

 

研修終了後、今後は東京の事務局に併設されていた訓練所に入所です。

またもや3ヶ月間、訓練を受けます。

毎朝早朝から走ったり、一日何時間もスペイン語を叩き込まれます。

さらに様々な伝染病のワクチンを接種されます(涙)。

 

語学訓練はたいしたものでした。

英語なら1,2,3を言えますよね。

ありがとう、おはようくらいなら言えますよね。

それをスペイン語で言える人って普通はあまりいませんよね。

 

3ヶ月間で中学3年間に習う英語の時間と同じくらいの授業を集中して受けました。

するとなんとか片言を話せるようになります。

メキシコ女性の先生には感謝感謝です。

 

そして、訓練終了後、1ヶ月間の時間をもらえます。

「身辺整理」の期間です。

2年間日本に戻れませんから、家族や恋人にしばしの別れを告げたり、身の回りを片付けたり、その他もろもろの用事を済まさなければなりません。

年金の手続きなんかも必要でした。

 

同じ訓練所で研修を積んだ仲間たちと、今度は国別に別れ、それぞれのチームが各国へと旅立って行きます。

僕ら中南米へ行くチームはまずメキシコに行き、一人ずつ分かれて6週間のホームステイをして語学の訓練を受けます。

それからようやくそれぞれの国へ出発です。

 

メキシコでのホームステイ先のご家族は本当によい人たちでした。

片言しかしゃべれない僕を一生懸命にかばいながら言葉を教えてくれました。

ラテン気質たっぷりのお父さんは、大勢のメキシコ美女を紹介してくれました(笑)。

また、すごいことに、ちょうど中国からサーカス団がやってきていて、一人でハンバーガー屋さんでハンバーガーを食べていたら、地元のメキシコ人に取り囲まれ、中国人と間違われ何か芸をしてみろと言われたりもしました(笑)。

何がすごいかって、「中国人に間違われていて、芸をしてみろと言われていることがわかるようになっている」ことがすごいんです。

何しろスペイン語を理解し始めているってことですから。

 

ホームステイをしながら市内の語学学校に通う毎日はあっという間に過ぎてしまいました。

そしていよいよ派遣される国へ出発です。

 

 

Apr 08, 2008
昔のお話し 3

4月に入るとさすがに忙しくなってきました・・。

 

さて、大学6年生の夏、協力隊の試験を受けました。

はっきり覚えていませんが、一次選考は書類審査で合格。

二次選考で東京の広尾にある本部へ試験を受けに行きました。

面接と英語の試験です。

面接ではやる気とか適正を見られたのでしょう。

英語は比較的簡単な中学校くらいの英語と、何語とも取れないようなパズルのような単語を組み合わせていくような試験がありました。

 

募集要項を見て、自分を必要としている国があるのかどうか、はっきり言ってわかりません。

また、自分がこの国に行きたいと希望しても、事務局の判断で行く国を決められてしまうとのことでした。

それでも意志をしっかり伝えることは大切だと聞いて、僕は最初のイメージどおり「アフリカ大陸」を希望しました。

「アフリカならどの国でもいいです、とにかくアフリカへ行きたい。アフリカ以外は考えていないです。」と伝えました。

 

それから1,2ヵ月後の合格発表の日、忘れもしませんが青森県は恐山近くのキャンプ場から実家に電話すると「協力隊から合格通知が来てたよ。」とのこと。

「おおおお、やったー!!」

バイクで一人旅の途中でしたが、そこら辺でキャンプしていた見知らぬバイク乗りの人たちにお祝いしてもらいました。

(無理やり誘ってお祝いさせたって感じです・笑)

みんな(たぶん迷惑がらずに)祝ってくれました(笑)。

 

数日後大学へ戻り、協力隊事務局に連絡すると、

「おめでとう、合格です。ただし、希望には副えませんが、あなたには南米へ行ってもらおうと思います。アフリカをご希望しておられましたが、南米です。どうされますか?」とのことでした。

 

南米?

南米か。

まあ、アフリカと同じで、でっかい大陸じゃん!!

おーし、どこでも行ってやるぞー!!!

 

で、

「行きます、行きます!!よろしくお願いします!!」

「そうですか、わかりました、それでは今後の訓練や手続きの書類を送ります。頑張ってください。」

「はい、頑張ります!!」

という感じの会話がなされたはずです(笑)。

うれしさに舞い上がってしまって、はっきり覚えていません。

 

同級生に話すと「そっかー、おめでとう、俺たちは就職だからある意味うらやましいよ。南米だからスペイン語だな、英語も通じないらしいけど頑張れよ。お前なら大丈夫だよ。」

 

・・・。

スペイン語?

地理で習ったな、ブラジルはポルトガル語、あとはほとんどスペイン語。

英語もできないのにスペイン語なんて(泣笑)。

Apr 04, 2008
昔のお話し 2

4月に入りました。

動物看護士の専門学校を卒業したばかりの女性スタッフが入ってきました。

20歳です。

学生から社会人へと新しい人生のスタートですね。

そんなみなさん、おめでとうございます。

 

さて、2浪したため20歳でようやく大学生になり、さらに獣医師になるため6年間も勉強しなければならない、いつまでも学生のままの僕は、このまま学校を卒業して社会に出て行くか、協力隊員として海外に出て行くか二つの道を選択することになりました。

もちろん、どちらにしても獣医師の国家試験に合格しなければならないし、協力隊の試験にも合格しなければなりません。

 

どーしようかなぁ、と悩みつつなんとなく自信のないままで過ごしていました。

大学5年生か6年生のころ、近くで「青年海外協力隊募集説明会」というものが開催されました。

とりあえず行ってみよう、いろいろ話を聞いて無理っぽかったらやめよう。

OBやOGの方々も経験談を話しに来られるらしい、テレビでしか見たことのないようなすごい人たちなんだろう・・・。

なんて思いながら説明会に行ってみました。

 

事務局の方の説明が終わり、いよいよOB、OGの登場です。

どきどきと期待いっぱいでした。

 

・・・、あれ、あれ、あれれ?

ぞろぞろ壇上に現れたのは、普通にそこらへんを歩いている一般人とまったく見分けのつかない普通のお兄さん、お姉さんだったんです。

想像では、真っ黒に日焼けして、筋骨隆々で、ヒゲもじゃで、背中くらいまでボサボサの髪が届いていて・・・、だったのに(笑)。

 

「なんだ、協力隊とはどれだけすごい人たちが行くのかと思ってたのに、(見かけだけは)普通の人でも行けるんだ!」

そう感じたのが最初の印象でした。

そうと決まればあとは行くだけです(笑)。

 

自分を必要としてくれている国や地域があるのか、願書を取り寄せて調べ始めまして。

今みたいにパソコンやインターネットなんてまだまだ一般的ではなかった頃です。

願書によると、獣医師の派遣を要請している国はけっこうある。

アフリカ、南米、東南アジアなど。

研究職から臨床職、内容もウィルス学、繁殖学、経営学など多岐に渡ってる。

学校出たての、経験不足の自分を求めている国はあるのだろうか・・・。

まったくアナログに調べ、大学6年の秋、協力隊の試験を受けました。

Mar 29, 2008
昔のお話し 1

さっぱり更新できません(涙)。

しかも4月になると動物病院はかなり忙しくなります(泣)。

となると、ますます更新が難しくなりそうな・・・。

何しろ病気についてはきちんと調べてから記事にするので、かなり時間がかかってしまいます。

そこで、しばらくの間、昔話でごまかします(笑)。

 

昔から動物や昆虫が大好きだった僕は、ほんの2年ほど浪人しましたが(笑)何とか獣医学部に入りました。

まあ、勉強よりも遊ぶほうが忙しいタイプの不真面目な学生でした。

学生時代にもっと勉強しておけばよかったと、これまたよくあるタイプの後悔をしています(笑)。

 

将来は漠然とペットのための獣医師になろうと思ってたけど、具体的に自分で開業しようかとか、どこかで働こうなどとは思っていませんでした。

 

そして、これもなんとなく試してみたいけど無理だろうな〜という夢っぽいものがありました。

それが青年海外協力隊というやつでした。

世界の困っている人のために自分の技術や知識が役に立つ・・・、な〜んて、かっこいいのは建前で、実際は自分の力を試したい、限界を知りたいというような感じでした。

 

イメージとしてはアフリカの広大な大地の中で、現地の人々と一緒になって汗水流しながら働いて現地の人々にとっても感謝してもらう・・・(笑)。

しかし過酷な現場で働くためには相当の体力や、どんな逆境にも負けない精神力が必要だろうな、そんなものが自分にはあるのかな・・。

いや、そもそも試験に受かるのかな、いやいやその前に両親や祖父母が許してくれるのかな・・。

帰国してから就職できるのかな・・。

病気になったらどうなるのかな・・。

 

なんて不安とともにますます行ってみたい気持ちが持ち上がってきました。

 

Feb 27, 2008
注射の針

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僕は注射は嫌いです(笑)。

動物たちもきっと嫌いです。

 

中にはまったく平気で打たせてくれる子もいるし、大騒ぎでたいへんな思いをする子もいます。

 

すべての動物病院がそうだとは限りませんが、おそらく多くの動物病院では注射の時に動物たちになるべく苦痛を与えないよう、いろいろな工夫がされていると思います。

 

注射の針は太さや長さ、用途によって何種類かを使い分けます。

現在使用されているものはほとんどがディスポーザブル(使い捨て)のもの。

一度使用したら再利用はしないで捨ててしまいます。

専門の容器に捨てて、専門の業者さんに処分してもらいます。

もちろん有料です。

 

もったいないですが、感染を防いだり痛みを軽減させるために使い捨てです。

注射針の先端は刃になっています。

皮膚に注射するとき「すっ」と抵抗なく刺さります。

刺されるほうもそのほうが痛みを感じにくいのです。

一度使用すると刃の切れが悪くなり、刺さりにくくなります。

当然、痛みが増してしまいます。

 

1204074895749560.jpg

よく使われるワクチンはこのように2本のボトルに別れており、ゴム栓がしてあります。

 

注射器に針をつけてまず溶解液を吸います。

ここで一度ゴム栓に刺します。

次に乾燥ワクチンのボトルに刺して溶解液を入れ、ワクチンを溶かしてから注射器に吸います。

 

これで二度、ゴム栓を通したことになります。

 

このまま動物に注射してもかまわないのですが、二度ゴム栓を通った注射針の先端の刃はすでにかなり切れが悪くなっています。

当然、痛みが増す可能性があるわけです。

 

そこで、二度ゴム栓に通した針は捨ててしまい、新しい針をつけて注射します。

そうすることで少しでも動物に痛みを与えないようにすることができます。

 

また、ワクチンは通常冷蔵庫にしまってありますから、取り出したときはまだ冷たいままです。

みなさんは看護士さんや先生が手のひらに注射器を握っておられるのを見たことがありませんか?

手のひらの体温でワクチンを暖め、少しでも痛みや違和感を与えないようにしているんです。

 

僕らが動物たちにしてあげられる、ほんのちょっとしたことです。

Feb 23, 2008
経鼻胃カテーテル

1203748901450425.jpgこの猫くんはある日突然動けなくなりました。

前日まで元気いっぱいで走り回っていたのにと、飼い主さんもまったく不思議そうでした。

 

見た感じでは首が痛そう・・。

レントゲンを撮ってみたけどはっきりしない・・。

2,3日痛み止めなどで様子をみましたが結局僕ではわからず、大学病院を受診してもらいました。

 

結果は頚椎の亜脱臼(涙)。

ギブスで首を固定されて帰ってきました。

 

しかし、首が痛いためほとんど動かせず食事が摂れませんでした。

注射器やスポイトで流動食を与えてもらうことにしていましたが、飼い主さんにはどうにも難しくてできないとのことでした。

 

そこで、沈静をかけてから栄養カテーテルを鼻の穴から胃に通します。

鼻の上と額に糸をかけてカテーテルがずれないように結びます。

写真のように注射器で流動食を与えます。

 

嘔吐して胃からカテーテルが出てしまうこともありますが、とりあえずは飼い主さんも猫くんも大きなストレスを感じないで食事を与えることができます。

カテーテルが細いため、薄い流動食しか通らないのが欠点です。

他には顎の皮膚を切って食道からカテーテルを挿入して胃まで入れることもあります。

これはもっと太いカテーテルを入れることができます。

 

猫たちは3日間くらい食事を摂らないと脂肪肝から肝不全をおこすことがあるので、どうしても食べさせなければならない時、このような方法もよく使います。

Feb 15, 2008
ワンちゃん用コルセット
1203068299384811.jpg昨年の秋に、大阪での学会に行ったとき、ワンちゃん用のコルセットを販売している企業の方にお会いしました。

 

ミニチュアダックスたちにとても多い椎間板ヘルニアなどに使用できるコルセットを手作りしておられるとのことでした。

 

病院の名刺をお渡しして後日資料を送ってもらいました。

 

すると、さっそく椎間板ヘルニアのワンちゃんが来院。

手術をするほどではないけれど、おうちでケージレストができないとのことで飼い主さんは困っておられました。

そこで、このコルセットを紹介。

スタッフ一同でワンちゃんの体をあちこち測定していきます。

注文書に書き込んで、ファックスで注文です。

 

そしたらこの子用のオリジナルコルセットが早速送られてきました。

お値段は3万円くらいかかります。

もっと大きなワンちゃんにはもう少し値段がかかります。

 

でもきっと楽チンだと思います。

腰痛やギックリ腰を持ってますので、コルセットのありがたさがわかります(笑)。

Feb 09, 2008
首長族

1202562067366322.jpgこれはなんでしょう!

どうしたことでしょう!

うちの新入りニャンコです!

 

実は2日ほど前から突然発情のような状態になりました。

先住ニャンコとは毎日大声で鳴きながらじゃれあっていたのですが、昨日あたりから交尾行動をとるようになりました。

 

先住ニャンコは若いときに去勢しましたので、交尾の経験もありませんし、発情しているメス猫と接触したこともありません。

 

ところが本能というのはすごいものですね。

去勢してあるにもかかわらず、また交尾の経験もないのにもかかわらず、昨夜はずーっと新入りニャンコに乗りかかって、首筋を押さえ交尾と同じ行動をとっていました。

新入りニャンコもずっと大人しく受け入れる体制をとっていました。

 

猫さんたちは「交尾排卵動物」です。

卵巣に卵胞ができると発情が始まるのですが、ヒトや犬はそこである期間が経過すると自然に排卵が起こり、卵胞は排泄され発情が休止します。

ところが猫やウサギさんは自然排卵がおこらず、交尾されることによって(交尾刺激によって)排卵がおこるのです。

交尾によって排卵するのですから交尾後の妊娠の確率はかなり高くなりますよね。

 

うちの新入りニャンコですが、今日、そのまま病院に連れて行き避妊手術をしました。

乳腺癌や子宮蓄膿症を予防するのが主な目的ですが、先住ニャンコとの怪しげな交尾行動を抑えるのも目的の一つです。

 

手術は普通に無事終わりました。

うちに連れて帰って様子を見ていましたが、いつもどおり大騒ぎで遊んでいます。

最近の麻酔と鎮痛剤はたいしたものです。

痛くないのかな〜とこっちが心配になるくらいですね。

ふと気付くと縫ったところを舐めていました。

うっかりエリザベスカラーを持って帰るのを忘れていました。

 

そこで、もらいもののチョコレートの箱の紙を筒状に切って、首の周りにぐるっと一周。

ガムテープで止めて首長族のできあがりです。

装着後5分くらいは嫌がっていましたが、すぐに慣れてしまいそのまま遊んでいます。

長さを調整することでお腹の傷に口が届きません。

視界も妨げないので、エリザベスカラーのないときには是非どうぞ♪