普通の動物病院の診療日記

April, 2020
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shu

小さな町の動物病院の獣医師です。

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Apr 25, 2008
昔のお話し 6

ついに出発の朝になりました。

けっこうどきどきしています。

不安と期待、正直なところ不安のほうがはるかに大きいですね。

 

言葉はどれくらい通じるのか、どんな人の家に下宿するのだろう、友達はできるのか、とにかくうまくやっていけるのだろうか・・・。

 

やがて日系人の現地スタッフの方がジープに乗って迎えにきました。

「出発するけど準備はできた?」

「はい。」

「じゃ、行こう。」

「・・・、はい。」

 

僕の感傷なんてまったく気にも留めないで彼はあっさりと僕を車に乗せました。

何年もの間、大勢の隊員を任地に運んでいる彼にとって、僕は大勢のうちのただの一人にすぎません。

人はいつもなんとなく自分自身を心の中で物語の主人公にしているものですが(僕だけかな・・笑)、こういう時に自分は主役ではなく、ただの一人なんだと気づかされます。

それでもただの一人であってもどきどきしていることに変わりはありませんでした(笑)。

 

ジープはやがて首都を離れ、国道をどこまでも進んでいきます。

国道沿いの町にある家やお店は近代的ですが、郊外に出るととたんに貧しい家に変わります。

南米によく見られる赤い土、牛・馬・豚・ロバ・ヤギが平気で国道近くを歩き、ニワトリやアヒル、ノーリードの犬もうろうろしています。

国道は意外と交通量が多いのですが、ほとんどの車はボコボコで日本みたいにきれいな車は皆無と言ってよいでしょう。

赤い埃を巻き上げてがんがん走っていきます。

トラックの荷台にはヒトや荷物や、ニワトリやらわけのわからないものが満載です。

 

いずれにしてもこんな景色はテレビでしか見たことがありませんでした。

と言うより、当時は南米だとかあまりテレビでも見る機会はありませんでしたね。

南米旅行のツアーなんてあまりなかったため、日本人の観光客もほとんどいませんでした。

 

そして3,4時間のドライブのあと、ついに車は国道を直角に曲がり、赤い土の道へと入って行きます。

そこから90kmほど奥に僕が住むことになる村があるのだそうです。

景色は先ほどまでの国道沿いとは一変します。

 

無人の赤い大地がどこまでも広がっていました。

 

Apr 23, 2008
昔のお話し 5

さて、派遣国ごとに分かれた僕らは、それぞれの国へと旅立ちます。

同じ訓練を受けてきた仲間たちとしばしのお別れです。

メキシコのホームステイ先の家族ともたった6週間の生活だったにもかかわらず涙の別れでした。

 

そして2年間の活動が待つ国の首都に到着。

先輩隊員や現地事務所の方々からの歓迎や様々な説明を受けたあと、今度は一人一人が自分の活動する任地へと向かうわけです。

 

僕が活動する予定だった任地はすでに日本にいるときにわかっていたので、ある程度の想像をしていました。

国道沿いにある町。

国道沿いには電気も通っているし電話も来ている。

バスも通るから首都に行くのも比較的簡単。

こうした国は大きな道路、国道が数本走っており、その道沿いにある市や町は比較的発展しています。

しかし少し奥にはいると電気すら来ていないところが多かったです。

 

しかし、実はメキシコにいる時に、メキシコの駐在員の方からこんな話しを聞かされていました。

「あなたの行く予定だった町は、あなたを受け入れないことになったそうです。なんでも選挙に立候補していた人が日本から協力隊員を受け入れるということを公約に掲げていたそうですが、その人は選挙に破れ、受け入れ予定がなくなりました。」

 

「・・・。」

 

「実はその代わりに別の候補地もあるらしいのですが、現地の事務局のスタッフも行ったことがないし、少々不便な場所らしいのです。もうしばらく調査をして、その上で実際に隊員を派遣できるかどうか決定することになるそうです。あなたはあくまでボランティアですから、新しい任地が嫌ならここから日本に引き返されてもいいですし、派遣される国の首都まで行って待機されててもよいとのことです。」

 

「・・・。」

 

協力隊員はあくまで日本国が派遣するボランティアですので、国に保護されます。

あまり危険性の高いところや、国の保護の手の届かないところへの派遣は原則的にありません。

 

で、僕ですが、ここから日本へ帰ってもいいと言われても、せっかくここまで頑張ってきたし、次の機会があるかどうかもわからないので、とりあえずその国の首都まで行くことにしました。

 

2週間程度のオリエンテーションのあと、次々と任地へと旅立っていく仲間を見ながら自分が行くことになる任地からの情報を待ちました。

少しずつ情報が入ってきて、なんとなく輪郭が見えてきます。

電気はない。

水道もない。

電話は村に一つある。

どうやら国道から数十キロ奥に入った村らしい。

日本人はもちろん外国人は一人もいない。

などなど・・・。

 

最終的にその国の事務局の方と相談して、その村で働くことに決めました。

仕事の内容は「混牧されて自由に交配している牛に対して人工授精を施し、村に人工授精の技術を広めること。また病気の家畜の治療、予防等。」みたいな感じでした。

そして同期のみんなから遅れること2週間、ついに僕の出発する日がやってきました。

Apr 13, 2008
昔のお話し 4

なんか大げさな感じだったので題名を変更いたしました(笑)。

 

さて、協力隊合格通知をもらい、冬の国家試験にむけて勉強しなければなりません。

ところがどうも緊迫感にかけるというか、土壇場にならないとやる気のでない性格のため、国家試験の直前までほとんど勉強せずに南米のことばかり考えていました(笑)。

僕の行く国のこと、派遣予定の町のこと、日本で調べられることをいろいろ調べました。

今のようにインターネットがなかったので、OBが書いた資料がありがたかったです。

そんなこんなで希望や妄想は膨らむばかりでした。

 

それでもなんとか国家試験に合格し、晴れて獣医師の資格を手に入れました。

卒業後、臨床経験がないため、「北海道で3ヶ月間、家畜の診療所に入り臨床経験をつんで来なさい」というのが協力隊事務局からの指令でした(笑)。

アパートを借りて3ヶ月間研修生として臨床経験を積みました。

もちろん、たった3ヶ月で一人前になれるはずもありませんが、それでも何もしないよりはマシっていうかんじでしょうか。

 

研修終了後、今後は東京の事務局に併設されていた訓練所に入所です。

またもや3ヶ月間、訓練を受けます。

毎朝早朝から走ったり、一日何時間もスペイン語を叩き込まれます。

さらに様々な伝染病のワクチンを接種されます(涙)。

 

語学訓練はたいしたものでした。

英語なら1,2,3を言えますよね。

ありがとう、おはようくらいなら言えますよね。

それをスペイン語で言える人って普通はあまりいませんよね。

 

3ヶ月間で中学3年間に習う英語の時間と同じくらいの授業を集中して受けました。

するとなんとか片言を話せるようになります。

メキシコ女性の先生には感謝感謝です。

 

そして、訓練終了後、1ヶ月間の時間をもらえます。

「身辺整理」の期間です。

2年間日本に戻れませんから、家族や恋人にしばしの別れを告げたり、身の回りを片付けたり、その他もろもろの用事を済まさなければなりません。

年金の手続きなんかも必要でした。

 

同じ訓練所で研修を積んだ仲間たちと、今度は国別に別れ、それぞれのチームが各国へと旅立って行きます。

僕ら中南米へ行くチームはまずメキシコに行き、一人ずつ分かれて6週間のホームステイをして語学の訓練を受けます。

それからようやくそれぞれの国へ出発です。

 

メキシコでのホームステイ先のご家族は本当によい人たちでした。

片言しかしゃべれない僕を一生懸命にかばいながら言葉を教えてくれました。

ラテン気質たっぷりのお父さんは、大勢のメキシコ美女を紹介してくれました(笑)。

また、すごいことに、ちょうど中国からサーカス団がやってきていて、一人でハンバーガー屋さんでハンバーガーを食べていたら、地元のメキシコ人に取り囲まれ、中国人と間違われ何か芸をしてみろと言われたりもしました(笑)。

何がすごいかって、「中国人に間違われていて、芸をしてみろと言われていることがわかるようになっている」ことがすごいんです。

何しろスペイン語を理解し始めているってことですから。

 

ホームステイをしながら市内の語学学校に通う毎日はあっという間に過ぎてしまいました。

そしていよいよ派遣される国へ出発です。

 

 

Apr 08, 2008
昔のお話し 3

4月に入るとさすがに忙しくなってきました・・。

 

さて、大学6年生の夏、協力隊の試験を受けました。

はっきり覚えていませんが、一次選考は書類審査で合格。

二次選考で東京の広尾にある本部へ試験を受けに行きました。

面接と英語の試験です。

面接ではやる気とか適正を見られたのでしょう。

英語は比較的簡単な中学校くらいの英語と、何語とも取れないようなパズルのような単語を組み合わせていくような試験がありました。

 

募集要項を見て、自分を必要としている国があるのかどうか、はっきり言ってわかりません。

また、自分がこの国に行きたいと希望しても、事務局の判断で行く国を決められてしまうとのことでした。

それでも意志をしっかり伝えることは大切だと聞いて、僕は最初のイメージどおり「アフリカ大陸」を希望しました。

「アフリカならどの国でもいいです、とにかくアフリカへ行きたい。アフリカ以外は考えていないです。」と伝えました。

 

それから1,2ヵ月後の合格発表の日、忘れもしませんが青森県は恐山近くのキャンプ場から実家に電話すると「協力隊から合格通知が来てたよ。」とのこと。

「おおおお、やったー!!」

バイクで一人旅の途中でしたが、そこら辺でキャンプしていた見知らぬバイク乗りの人たちにお祝いしてもらいました。

(無理やり誘ってお祝いさせたって感じです・笑)

みんな(たぶん迷惑がらずに)祝ってくれました(笑)。

 

数日後大学へ戻り、協力隊事務局に連絡すると、

「おめでとう、合格です。ただし、希望には副えませんが、あなたには南米へ行ってもらおうと思います。アフリカをご希望しておられましたが、南米です。どうされますか?」とのことでした。

 

南米?

南米か。

まあ、アフリカと同じで、でっかい大陸じゃん!!

おーし、どこでも行ってやるぞー!!!

 

で、

「行きます、行きます!!よろしくお願いします!!」

「そうですか、わかりました、それでは今後の訓練や手続きの書類を送ります。頑張ってください。」

「はい、頑張ります!!」

という感じの会話がなされたはずです(笑)。

うれしさに舞い上がってしまって、はっきり覚えていません。

 

同級生に話すと「そっかー、おめでとう、俺たちは就職だからある意味うらやましいよ。南米だからスペイン語だな、英語も通じないらしいけど頑張れよ。お前なら大丈夫だよ。」

 

・・・。

スペイン語?

地理で習ったな、ブラジルはポルトガル語、あとはほとんどスペイン語。

英語もできないのにスペイン語なんて(泣笑)。

Apr 04, 2008
昔のお話し 2

4月に入りました。

動物看護士の専門学校を卒業したばかりの女性スタッフが入ってきました。

20歳です。

学生から社会人へと新しい人生のスタートですね。

そんなみなさん、おめでとうございます。

 

さて、2浪したため20歳でようやく大学生になり、さらに獣医師になるため6年間も勉強しなければならない、いつまでも学生のままの僕は、このまま学校を卒業して社会に出て行くか、協力隊員として海外に出て行くか二つの道を選択することになりました。

もちろん、どちらにしても獣医師の国家試験に合格しなければならないし、協力隊の試験にも合格しなければなりません。

 

どーしようかなぁ、と悩みつつなんとなく自信のないままで過ごしていました。

大学5年生か6年生のころ、近くで「青年海外協力隊募集説明会」というものが開催されました。

とりあえず行ってみよう、いろいろ話を聞いて無理っぽかったらやめよう。

OBやOGの方々も経験談を話しに来られるらしい、テレビでしか見たことのないようなすごい人たちなんだろう・・・。

なんて思いながら説明会に行ってみました。

 

事務局の方の説明が終わり、いよいよOB、OGの登場です。

どきどきと期待いっぱいでした。

 

・・・、あれ、あれ、あれれ?

ぞろぞろ壇上に現れたのは、普通にそこらへんを歩いている一般人とまったく見分けのつかない普通のお兄さん、お姉さんだったんです。

想像では、真っ黒に日焼けして、筋骨隆々で、ヒゲもじゃで、背中くらいまでボサボサの髪が届いていて・・・、だったのに(笑)。

 

「なんだ、協力隊とはどれだけすごい人たちが行くのかと思ってたのに、(見かけだけは)普通の人でも行けるんだ!」

そう感じたのが最初の印象でした。

そうと決まればあとは行くだけです(笑)。

 

自分を必要としてくれている国や地域があるのか、願書を取り寄せて調べ始めまして。

今みたいにパソコンやインターネットなんてまだまだ一般的ではなかった頃です。

願書によると、獣医師の派遣を要請している国はけっこうある。

アフリカ、南米、東南アジアなど。

研究職から臨床職、内容もウィルス学、繁殖学、経営学など多岐に渡ってる。

学校出たての、経験不足の自分を求めている国はあるのだろうか・・・。

まったくアナログに調べ、大学6年の秋、協力隊の試験を受けました。