普通の動物病院の診療日記

April, 2020
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shu

小さな町の動物病院の獣医師です。

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May 30, 2008
昔のお話し 9

1212124603053164.jpg

なかなか続きがアップできませんでした(汗)。

 

村に入って2ヶ月くらいが経過し、下宿先を中心にあちこちをうろうろし始めました。

ほとんどのうちに乳用の牛が1,2頭飼われており、家の周囲を自由に歩き回っていました。

 

 

牛のほかには移動用の馬、ロバ、ラバ。

卵や肉用にニワトリ、アヒル、ホロホロ鳥。

肉用に豚や羊、ヤギなどが人間と一緒に暮らしていました。

 

1212124577654606.jpgペットのワンコやネコもいましたよ。

 

僕は獣医師ってことで村にいましたが、自前の聴診器くらいしかもっておらず、初めのころはまったく仕事にはなりません。

 

今のようなメールはもちろん、電話すらない村ですから僕の存在そのものはなかなか村中に伝わることはありませんでした。

 

現地の職員と相談して、村の中の地区ごとに村人を集め僕の存在をアピールし、人工授精のことや動物の病気の治療のことなどを宣伝してまわることにしました。

そうしてまずは自分の存在をアピール、将来の仕事のための啓蒙活動。

僕は2年間でどれだけの仕事ができるかって言うよりも、僕の後に続いてこの村にやって来る交代隊員のためにまずは土台作りをすることが最も大切だと考えました。

 

それにしても言葉が通じないことの悔しいこと、悔しいこと。

偉そうにドクター(スペイン語ではドクトール)を名乗っていても、幼児並みの会話しかできないのですから、おそらく最初は村人にかなりバカにされていたと思います。

 

下宿先では夜になるとロウソクやランタンの明かりの下、毎晩スペイン語の辞書を読んでました(笑)。

大きな町に派遣された隊員は、同じ町に他の職種の隊員がいたりするため、夜は隊員同士で集まったり飲んだりができます。

僕の場合は完全に一人だったので、まったく日本語を使う機会がありませんでした。

その代わり、スペイン語は飛躍的に上達しましたよ。

人間、なんとかなるものなんですね(笑)。

May 14, 2008
昔のお話し 8

スタッフが帰ったあと、家族は僕に気を遣ってくれて一生懸命話しかけてくれました。

子供相手に話しかけるよう、ゆっくり丁寧に簡単な単語を使って僕のことを尋ねたり、自分たちのことを自己紹介したり。

僕も懸命に頭を回転させるのですが、おそらく2割も通じなかったのではないでしょうか。

少なくともこの人たちは自分に敵意や害意はない、これからの2年間、下宿先のご家族としてお世話になることだけは間違いないのでした。

 

しばらくしていると僕の仕事のバートナーとなる人がやってきました。

国の農業省の出先機関となる事務所があるとのことで、これからは彼と一緒に人工授精を広める活動を始めることになっているわけでした。

 

彼もどんどん話しかけてきますが、一般の生活用単語ですらままならないのに、農業用語や獣医学用語など専門用語がどんどん出てくるともうどうにもなりません(涙)。

しばらく僕に話しかけていた彼は「どうやらこいつ言葉がほとんどわからないみたいだ。こりゃどうにもならないなぁ。」と思ったらしく、「また明日。」と言い残して帰ってしまいました。

 

これから本当に仕事なんてできるのかなぁ・・・、ますます不安が・・・。

 

凹んでいては何も始まりません。

翌日からはとりあえず村を歩き回ることにしました。

テレビもなければ新聞もない(一部の家では車のバッテリーを使い小さな白黒テレビを見ることができてはいましたが)、そんな村です。

僕が歩いているとそれはそれは珍しそうに見られます。

外国人なんて生まれて初めて見るっていう人もたくさんいました。

 

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村は貧しく、子供たちは靴を履いていない子がほとんどですが、明るくきれいな目を持っていました。

最初は僕のことをおっかなびっくりで、なかなか近づいてきませんが、慣れると次々と仲間を呼んで増えてきまました(笑)。

 

残念ながら多くの子供たちにはスペイン語も通じませんでした。

 

 

 

 

 

 

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その国の原住民たちの言葉が残っており、学校へ行かなければ、また、スペイン語のできる家庭に育たなければスペイン語はわかりません。

 

それでも子供や動物たちにはずいぶん救われたような気がします。

 

早く仕事を始めなければ。

しかし、よく考えてみたら人工授精の道具なんて何一つこの村にはありませんでした。

 

何しろ人工授精なんてまったく知らない人たちがほとんどですから、広めるにしてもどうやればいいんだろう、どう説明すればいいんだろう、という所からのスタートでした(笑)。

2年の間に一度でも実際に人工授精ができるんだろうか、って思うくらいのんびりした時間が流れていくのでした。

 

May 01, 2008
昔のお話し 7

続きです。

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ジープは赤土の道をどんどん国道から離れていきます。

 

広い草原を走ったかと思うと突然暗い森の中に入ったり。

 

2本の板がかけてあるだけの橋で川を渡ったり。

 

道があるということは奥に村があるということなのですがなんとも不安です。

 

 

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時にはこうして白骨化した牛の死体もありました。

死因は何かわかりません。

 

自然に生えている草しか食べていないのだし、病気になっても治療は受けられないのだから、弱いものから死んでいき、強いものが生き残るという自然に近い環境でした。

 

ここでの僕のお仕事はこうした動物たちを少しでも減らすことなんだろうな・・・と、考えながら村をめざしました。

 

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村が近づいてくると、土地に柵がしてあったり、ロバが道路を歩いていたりします。

 

「もうすぐだからね。」とスタッフが言います。

どきどきです(笑)。

 

やがて民家がぽつぽつと現れ始め、住民が道路や庭先に見られるようになりました。

車が全部で4,5台しかない村です。

僕らの乗ったジープが通るとみんな珍しそうにこちらを見ます。

で、乗っているのが東洋人だとなると、さらに珍しそうに見てきます(笑)。

 

僕らを見ている人も気になりますが、その辺をうろうろしている牛や馬、豚に羊に犬とか猫とか、ニワトリやアヒル、見たこともない鳥なども気になります。

何しろこれから2年間、この村でそれら動物たちを相手に仕事をしなければならないわけですから。

ドッグフード以外は与えてはだめですよ〜、なんてまったく通じないでしょうね(笑)。 

 

次第に家が多くなってきました。

そしてジープは村の中央に入りました。

一軒の家の前で止まります。

 

「ここが君の下宿先だよ、セニョール。」とスタッフが言います。

家の中からご主人らしき男性と、その奥さんらしき人が出てきました。

男性はスペイン系のダンディな人でした。

奥さんは明るい笑顔満面でした。

 

習ったとおりのスペイン語で挨拶します。

握手をします。

片言の挨拶を聞いたご主人と奥さんが「おお、スペイン語ができるじゃないか〜。」という感じでペラペラと話しかけてきます。

・・・、まったくわかりません(涙)。

 

しばらくスタッフを交えて(通訳してもらいながら)話しをしていると、突然スタッフが「じゃあ、僕は暗くなる前に帰るから。2年間頑張ってね。じゃあね。」と言ってさっさとジープに乗り込むではありませんか。

え〜、ちょっと待ってくれよ、いきなり帰るの?ちょっと、ちょっと〜(涙)。

 

でもジープは非常にもブイ〜と赤い土ぼこりを立ててあっさりと走り去っていきました。

 

このときの心細さはおそらく今までの人生で最大のものでしょう(笑)。

何しろ、今、この瞬間からこの村に一人ぼっち・・・。

いや、正確には村人や新しい家族がいるのだけど、何しろ言葉がまだ通じない・・・。

 

いやー、まいった、まいった・・、でした。