さて、派遣国ごとに分かれた僕らは、それぞれの国へと旅立ちます。
同じ訓練を受けてきた仲間たちとしばしのお別れです。
メキシコのホームステイ先の家族ともたった6週間の生活だったにもかかわらず涙の別れでした。
そして2年間の活動が待つ国の首都に到着。
先輩隊員や現地事務所の方々からの歓迎や様々な説明を受けたあと、今度は一人一人が自分の活動する任地へと向かうわけです。
僕が活動する予定だった任地はすでに日本にいるときにわかっていたので、ある程度の想像をしていました。
国道沿いにある町。
国道沿いには電気も通っているし電話も来ている。
バスも通るから首都に行くのも比較的簡単。
こうした国は大きな道路、国道が数本走っており、その道沿いにある市や町は比較的発展しています。
しかし少し奥にはいると電気すら来ていないところが多かったです。
しかし、実はメキシコにいる時に、メキシコの駐在員の方からこんな話しを聞かされていました。
「あなたの行く予定だった町は、あなたを受け入れないことになったそうです。なんでも選挙に立候補していた人が日本から協力隊員を受け入れるということを公約に掲げていたそうですが、その人は選挙に破れ、受け入れ予定がなくなりました。」
「・・・。」
「実はその代わりに別の候補地もあるらしいのですが、現地の事務局のスタッフも行ったことがないし、少々不便な場所らしいのです。もうしばらく調査をして、その上で実際に隊員を派遣できるかどうか決定することになるそうです。あなたはあくまでボランティアですから、新しい任地が嫌ならここから日本に引き返されてもいいですし、派遣される国の首都まで行って待機されててもよいとのことです。」
「・・・。」
協力隊員はあくまで日本国が派遣するボランティアですので、国に保護されます。
あまり危険性の高いところや、国の保護の手の届かないところへの派遣は原則的にありません。
で、僕ですが、ここから日本へ帰ってもいいと言われても、せっかくここまで頑張ってきたし、次の機会があるかどうかもわからないので、とりあえずその国の首都まで行くことにしました。
2週間程度のオリエンテーションのあと、次々と任地へと旅立っていく仲間を見ながら自分が行くことになる任地からの情報を待ちました。
少しずつ情報が入ってきて、なんとなく輪郭が見えてきます。
電気はない。
水道もない。
電話は村に一つある。
どうやら国道から数十キロ奥に入った村らしい。
日本人はもちろん外国人は一人もいない。
などなど・・・。
最終的にその国の事務局の方と相談して、その村で働くことに決めました。
仕事の内容は「混牧されて自由に交配している牛に対して人工授精を施し、村に人工授精の技術を広めること。また病気の家畜の治療、予防等。」みたいな感じでした。
そして同期のみんなから遅れること2週間、ついに僕の出発する日がやってきました。