スタッフが帰ったあと、家族は僕に気を遣ってくれて一生懸命話しかけてくれました。
子供相手に話しかけるよう、ゆっくり丁寧に簡単な単語を使って僕のことを尋ねたり、自分たちのことを自己紹介したり。
僕も懸命に頭を回転させるのですが、おそらく2割も通じなかったのではないでしょうか。
少なくともこの人たちは自分に敵意や害意はない、これからの2年間、下宿先のご家族としてお世話になることだけは間違いないのでした。
しばらくしていると僕の仕事のバートナーとなる人がやってきました。
国の農業省の出先機関となる事務所があるとのことで、これからは彼と一緒に人工授精を広める活動を始めることになっているわけでした。
彼もどんどん話しかけてきますが、一般の生活用単語ですらままならないのに、農業用語や獣医学用語など専門用語がどんどん出てくるともうどうにもなりません(涙)。
しばらく僕に話しかけていた彼は「どうやらこいつ言葉がほとんどわからないみたいだ。こりゃどうにもならないなぁ。」と思ったらしく、「また明日。」と言い残して帰ってしまいました。
これから本当に仕事なんてできるのかなぁ・・・、ますます不安が・・・。
凹んでいては何も始まりません。
翌日からはとりあえず村を歩き回ることにしました。
テレビもなければ新聞もない(一部の家では車のバッテリーを使い小さな白黒テレビを見ることができてはいましたが)、そんな村です。
僕が歩いているとそれはそれは珍しそうに見られます。
外国人なんて生まれて初めて見るっていう人もたくさんいました。
村は貧しく、子供たちは靴を履いていない子がほとんどですが、明るくきれいな目を持っていました。
最初は僕のことをおっかなびっくりで、なかなか近づいてきませんが、慣れると次々と仲間を呼んで増えてきまました(笑)。
残念ながら多くの子供たちにはスペイン語も通じませんでした。
その国の原住民たちの言葉が残っており、学校へ行かなければ、また、スペイン語のできる家庭に育たなければスペイン語はわかりません。
それでも子供や動物たちにはずいぶん救われたような気がします。
早く仕事を始めなければ。
しかし、よく考えてみたら人工授精の道具なんて何一つこの村にはありませんでした。
何しろ人工授精なんてまったく知らない人たちがほとんどですから、広めるにしてもどうやればいいんだろう、どう説明すればいいんだろう、という所からのスタートでした(笑)。
2年の間に一度でも実際に人工授精ができるんだろうか、って思うくらいのんびりした時間が流れていくのでした。