日本の海辺の中でも、かなり特殊な環境だといえる有明海。ムツゴロウというハゼの存在が特に有名だが、「山の神様」の機嫌を損ねたという、1種類の魚が暮らしているという。
その名もずばりヤマノカミ。
水の中に暮らす魚になぜヤマノカミという名前がついているかというと、そこにはどうやらいきさつがあるようだ。海の神と山の神が見栄を張り合ったとき、平和的に解決しそうになったところで、海のオコゼが水をさしたのだという。その怒りを静めるため、山の神の供物にはオコゼが捧げられるという。ヤマノカミの姿はそのオコゼによく似ている。
ヤマノカミはカジカの仲間に含まれる水底に暮らす魚だ。もともとカジカの仲間は海に多く、淡水に暮らす種類というのはごく少数派である。このヤマノカミに関しては、川と海を行き来して暮らす、特殊な魚だ。日本では筑後川、嘉瀬川、住の江川、六角川、浜川など、有明海の湾奥部に注ぐ河川の、通常は中流から下流域に分布している。晩秋、産卵のために海へと移動し、カキなどの貝殻内に産卵した後、稚魚は河口域で成長する。5月ごろ川を遡上(そじょう)して、その棲み家を淡水へと移す。
有明海は特殊な生態系をもっており、それは非常に大陸的な性質をもっていることによる。マスコミなどでもしばしば取り上げられる諫早湾などもそのひとつで、我が国でも大型の干潟として豊かな自然をはぐくんできた。干潟では何といってもムツゴロウが有名だが、有明海特有の魚としては、このほかにエツやハゼグチといった仲間も棲んでいる。ヤマノカミもそうしたもののひとつで、日本ではこの海域にしか棲んでおらず、その特有の生態系に適応して暮らしてきた魚のひとつだ。
一面に広がる泥地を思わせる有明海の干潟は、一見汚さそうに見えるが、実はその豊かな生産力が有明海一帯の魚貝類を養っているといえる。栄養分に富んだ海が魚を含めた生物に産卵場所や、生育場所を提供して、豊かな漁業を支えてきた。こうした生態系は、微妙なバランスの上に成り立っている。先にふれたように、ヤマノカミは海と川を往復する回遊魚であるため、河口付近や下流部に堰ができると大きな打撃を受ける。
ヤマノカミという名前だが、どうやらその姿からきているようだ。なんでも伝え話で海の神と山の神が出会い、その際お互いのしもべのことを競い合ったのだという。海の神はタイやヒラメなど、山の神はタヌキやクマなどの手下を集めて、その種類の多さを誇示しあった。結果として数は同じで勝負が引き分けようとしたとき、海から1匹のオコゼがはい上がってきたのだという。そのため軍配は、海の神に上がった。以来山の神は、オコゼを恨むようになったというのである。そこで祭りには、山の神を慰める意味からオコゼが捧げられることがあるようである。
このカジカ科のヤマノカミは、その姿がオコゼにも似ている。
そうした言い伝えをもとに名づけられたのがこのヤマノカミのようである。