ペットのみならず気付いた事をアップしていきます。

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福岡県筑紫野市のペット霊園『ハートランド福岡』で働くさんちゃんです。宜しくお願いします。霊園またはそれ以外の気づいた事をアップしていきたいと思います。またパソコンからいつでも気軽にお子様達に会える『ネットdeお参り』というWeb上の霊園も無料ご利用頂けますのでご興味がおありの方はぜひご登録下さい。
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Jan 30, 2007
『おしどり夫婦』の実態!?

1170142556280975.jpgいつでもどこでも一緒に寄り添っている仲のよい夫婦のことを、「おしどり夫婦」と呼びますが、実際のオシドリはどうなのでしょうか。

 

オシドリは東アジアを中心に生息している、カモの仲間です。日本でも夏は北日本で、冬は西日本でお目にかけることができます。

 

 

 

 

 

繁殖期のオスは鮮やかな体色と銀杏羽とよばれる独特の羽を持ち、非常に特徴的な姿をしています。メスは全体的にグレーを帯びた褐色で、オスに比べると地味な印象を受けます。カモの仲間には珍しく、どんぐりが好物で、山と里の両方で生活しているようです。

 

オシドリは漢字では鴛鴦と書き、鴛がオスを、鴦がメスを表しているそうです。そう聞くとオシドリはやはり「おしどり夫婦」の語源にふさわしくいつも一緒に寄り添っている印象を受けてしまいますが、実際にオシドリが一緒にいるのは、繁殖期の限られた期間だけです。
交尾を終えたメスは、水辺の樹の洞などに卵を産み落とし、ヒナが孵るまで卵を温めますが、オスはこうした子育てには一切参加せず、メスから離れてしまいます。また、パートナーが毎年かわることも多いようで、「一生添い遂げる」ということもないそうです。

 

オシドリは決して「おしどり夫婦」ではないようです。

いや、もしかしたら「おしどり夫婦」の現実はそんなものかも??

Jan 29, 2007
長いお鼻(?)がゾウのよう

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黒っぽい体によく目立つ斑紋、そして何よりの特徴がなが〜く伸びた鼻。写真の魚はエレファントノーズ・フィッシュと呼ばれる観賞魚です。

 

淡水魚の中でも、かなりユニークな姿をした体ではないでしょうか。このエレファントノーズとは、象の鼻の意味で、その長く伸びた吻の特徴から名前がつけられました。

 

 

モルミルスとも呼ばれているグループの、代表種といえる魚です。

このグループの魚たちが分布しているのは、いずれもアフリカ大陸を流れる河川などです。鼻は象のようですが、大きさは最大でも全長20センチ程度です。

 

その特徴的な姿かたちから、一度みたら忘れられない魚ではないでしょうか。

観賞魚としては古くから親しまれている種類で、日本にも熱帯魚飼育が根付いて以来、輸入されている魚です。グループとしての種類も豊富で、エレファント・ノーズの象の鼻を思わせる吻をもったものから、吻をまったくもたずにクジラを思わせる姿をしたホエールエレファント、スマートな体形がイルカを連想させるドルフィンエレファントなど、実に多彩です。また、エレファント・ノーズの吻は一見鼻のようですが、実は下あごが特化したもので、口は長い吻の上にあります。同じように吻が長くても、種類によっては口吻事態が長くなっているものもおり、バードビーク(鳥のクチバシ)とも呼ばれています。この特徴的な長い吻は、泥の中にいる獲物を探すのに大変役立っています。長い吻を巧みに動かしながら、器用に獲物を捕食するのです。

 

そして、コミカルな姿に加え、この仲間は独特な能力を備えている事でも知られています。

体から弱い電気パルスを放って、磁場を作りながら周囲の様子を探る事ができるのです。これにより暗夜の水中であっても、濁った水中であっても、障害物などの存在を感じ取り、自在に回避して、何不自由なく泳ぐことができます。

 

Jan 28, 2007
神社の称号!!

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神社の称号には、「神社」といわれる他に「神宮」「宮(ぐう)」「大社(たいしゃ)」「社」などがあり、各々の神社の由緒に基づいて定められています。

 

 

神宮という称号は、明治神宮や熱田神宮、平安神宮のように、皇室と深いつながりをもつ神社であるとか、天皇を御祭神としてお祀りしている神社に用いられます。 ただし、単に「神宮」と称した場合は、伊勢神宮のことをさします(「伊勢神宮」は通称であり、正式な名称は「神宮」です)。

 

宮の称号は、八代宮や井伊谷宮のように、親王をお祀りしている神社に用いられます。 なお、東照宮や天満宮、八幡宮のように慣習的に称号を用いる例もあります。 大社の称号は、かつて官国幣社(かんこくへいしゃ)制度があったときには、出雲大社のことをさしました。

 

しかし、戦後になってからは、春日(かすが)大社や住吉大社、高良(こうら)大社のようにこの称号を用いる神社が増えました。

 

これらの神社は、いずれも旧社格が官幣(かんぺい)大社、国幣(こくへい)大社の神社です。

 

社の称号は、大きな神社から御祭神を勧請(かんじょう)した神社に用いられ、神明社や天神社などがあります。

Jan 26, 2007
兄弟でちっとも似てない!?

 

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『似てない!!』

 

 

母猫から一緒に生まれた兄弟猫でも、毛色がまったく違うことがあります。

 

猫の毛色は父猫と母猫の遺伝子によって決定されます。

 

 

 

 

 

でも兄弟によっては三毛にグレーにキジトラにと、とても同じ母猫から生まれたとは思えないほど毛色のバリエーションが豊富な場合があります。これはなぜでしょう?


答えは、同じ母猫から一緒に生まれた兄弟でも、父親が違うことがあるからなのです。

 


猫は交尾誘起排卵といって、交尾を行った刺激により排卵が誘発されます。

 

発情期間中に母猫が複数の父猫と交尾を行った場合、それぞれの交尾によって排卵がおこり、それぞれの排卵で妊娠することができます。そして、母猫は父親の異なる子猫を、一度の出産でまとめて産むことになるのです。

そのため、同じ母猫から一緒に産まれた兄弟猫であっても、毛色の(時には毛の長さまでも)異なる、あまり似ていない兄弟猫たちが誕生するそうです。

Jan 25, 2007
『どんどん小さく育つカエル。』

1169688417308493.jpgこの世に生を受けたものは、人間に限らずおよそ成長しながら育っていくものだ。程度の違いこそあれ、成長を続ける限り体は大きくなっていくのが普通である。しかし、そうした概念が通用しない生物もいる。

 

我々が持つ“成長”という概念が通用しない生き物。

 

 

 

それは。コロンビアからアルゼンチンにかけて分布している、アベコベガエルという種類だ。不思議なことに彼らは成長することでどんどん小さくなっていくのである。

 

ご存知のようにカエルの子供はオタマジャクシである。一般にオタマジャクシは水中で成長し、やがて後足が生えさらに前足が生えて四足になり、ついには水中を泳ぐための尾が吸収されてカエルの姿へと変貌する。この工程はアベコベガエルでもなんら変わりはないのだが、問題はその大きさの変化である。

アベコベガエルのオタマジャクシはとにかくでかい。20センチをゆうに超え、25センチにも達するものもいるといわれている。現在日本でみられるオタマジャクシで一番大きいのは、もともとはアメリカが原産のウシガエルのオタマジャクシだ。俗に「バケダマ」などとも呼ばれたりもするが、それでもせいぜい10センチ前後である。そしてそのアベコベガエルのオタマジャクシの20センチ以上あった体は、カエルになるとわずか6センチほどになってしまうというのだ。かたやウシガエルでは、成体つまりカエルのサイズが20センチ程度になる。こちらは大きくなるという、通常の成長をみせるわけだ。

 

アベコベガエルを、その巨大なオタマジャクシから、さぞかし大きなカエルへと変貌するのだろうと想像した人は、ひどい肩透かしをくらうわけである。そもそも子供の頃は水中にすんでエラで呼吸し、大人になると陸上へと進出して肺呼吸するという特殊な生き方をするカエルたちだが、その中でも特に一風変わっているのが、このアベコベガエルといえるだろう。

 

誰です?成長するのに『大きく(太る)』ないのは、うらやましいと思っているのは!!

Jan 24, 2007
『スカンクの強力な武器』

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スカンクといってまず思い浮かぶのが、ユニークな敵の撃退法である。肛門付近から強烈な匂いのする噴射物の一撃を食らわし、敵を退散させるというものだ。

 

 

 

広く知られている習性でもあり、その様子は漫画などでもコミカルに表現されている。スカンクの一撃を頂戴したことのある肉食獣などでは、彼らが独特のディスプレイをはじめると、尻尾を巻いての退散を余儀なくされる。知らずにいたずらを試みた動物は、手痛い洗礼を受けなければならず、結果として以来このスカンクには手を出すことがなくなる。この噴射物のにおいが、彼らにちょっかいを出そうとする動物たちにとって、十分な抑止力になっているのである。

 

ただし、スカンクにしてみても、いきなりこの攻撃をくわえることはないらしい。まずは「自分を襲おうとすると、ひどい目にあうぞ」とひとしきりディスプレイをする。白と黒の毛皮を見せつけるようにしながらふさふさとした尻尾を高く掲げて、脚踏みをして背中を弓なりにする。この警告でもさらに相手がひるまなければ、今にも一発お見舞いするぞとばかりに体を前後に揺らし始めることもあるようだ。スカンクの中でも、マダラスカンクでは、さらに逆立ちまでして相手に攻撃体勢に入っていることをアピールする。これでも敵が退散しないと、いよいよ強烈な匂いのもとを霧状にして噴射。
俗に「おなら」とも表現されるが、実際には噴射物は肛門腺とよばれる器官から発射される。

 

実際にそのにおいをかいだことがないため表現のしようもないのであるが、その一撃はとにかく強烈らしいということは語りつがれている。また、目に入った場合は一時的に失明し、強烈な匂いは皮膚につくとなかなか取れず、服についた場合は廃棄にするしかないという。

 

この肛門腺に関しては、スカンクを含むイタチの仲間ではいずれの発達しており、ペットとして知られるフェレットでは、それを除去手術したものが流通している。ただし一口にイタチの仲間といってもその発達の程度は様々で、その中でも横綱ともいえるのがこのスカンクたちなのである。彼らは実際に護身用に利用しているが、種類によってはそのにおいをマーキングなどに利用しているものもいる。

 

強力な武器をもったスカンクたちだが、今日ではペットとしても親しまれてもいる。もちろん愛玩されるものに関しては、フェレット同様肛門腺は処置されているものがほとんどだ。

可愛いからといって、その一発を食らわされたら目も当てられない。ただしそうした処理をしていても、排泄物のにおいや、体臭(主に生殖腺のにおい)に関してはそれなりにあるので、家族として迎えいれるためには、かなりの覚悟は必要!?

Jan 23, 2007
イルカが人間をサメから救った!?

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 「イルカの群れの助けでサメの襲撃を免れた」という体験談が報じられた。これは05年の10月末にニュージーランド北島のワンガレイ海岸沖で起きた出来事で、この不思議な体験をした海難救助隊員は「サメの存在を海岸の遊泳者に知ってもらうために地元紙などの取材に応じた。

この海難救助隊員は自分の娘ら少女3人と一緒に海岸100メートル沖で泳いでいた。そのうちイルカ1頭が近づき、目の前で潜った。

 

 

 

よく目を凝らしてみると体長3メートルほどの灰色のサメが自分たちの周囲を旋回しているのが見えた。しかし、そこにイルカの群れが現れて、4人を取り囲むように40分あまり一緒に泳ぎ、サメの襲撃から守ってくれたという。

イルカが人間を助けるという不思議な体験。実は他にも例があるという。

偶然か意図的かは別として、結果的にイルカは人に対して好意的であるといえる。人間も、イルカに対して好意的に接することが多く、”やさしい動物”としてのイメージが定着している。

イルカセラピーと呼ばれる動物介在療法にも注目が集まっており、動物のもつ癒し効果が期待されている。

その一方で、野生のイルカには近づかないほうがいいとする考え方もある。最近の研究では野生のイルカが子供や小型のイルカを殺すなどの例が見つかっており、殺し屋のイメージすら出てきていると言う。

イルカと一緒に泳げる観光ツアーが人気を集めているが、エサを求めるイルカに手を噛まれたり、ぶつかられたなどの被害報告も出ている。飼育された動物と野生の動物は同じように考えてはいけないようだ。

とはいえ、野生のイルカに助けられたという報告が数多くあるのも事実。是非一度イルカ本人(人?)に真相を聞いてみたいものです。

Jan 20, 2007
クマが冬眠できない!

河北新報によると


 宮城県内で冬眠シーズンの1月となっても、人里へのクマの出没が相次いでいる。栗原市や加美町など県北を中心に頻繁に姿を現し、18日までに、子グマと成獣の2頭が捕獲された。餌を求めての下山とみられるが、「これまで1月の目撃情報は聞いたことがない」(県自然保護課)という真冬の珍事。秋に木の実が少なく空腹なのか、それとも暖冬で眠気が起きないのか。眠れないクマの出現に、専門家も首をかしげている。

 

1月上旬、栗原市栗駒の民家周辺に繰り返し、クマが出没。連日、倉庫や生ごみ処理機の近くに現れたため、10日に捕獲し処分された。加美町では4日、田んぼを移動中の子グマを発見。専門家の意見を踏まえて捕獲後、山に搬送し、冬眠できるように飼料用トウモロコシ20キロを餌として一緒に穴に入れ、枯れ枝などで入り口をふさいだ。

 

寒冷地に生息するクマは通常、秋に餌を多く食べて脂肪を蓄えた後、12月から4月ごろにかけて土の中で冬眠する。東北地方でも1月までには冬眠に入るため、これまで1月中の目撃情報はなかった。しかし、16日にも栗原市と加美町から新たなクマの目撃情報が相次いで寄せられ、今年は8件にも上っている。

 

青井俊樹岩手大教授(野生生物管理学)は、冬場でも木の実などがあり餌が豊富な西日本では冬眠せずに活動するクマがいることを指摘。「人里にある餌が確保でき、冬眠の必要がないのかもしれない」と分析する。

 

クマの保護活動に取り組む「ツキノワグマと棲処(すみか)の森を守る会」の板垣悟代表は、雪が少なく餌を探しやすい自然環境が要因とみる。「木の実が少なくても豪雪だったらすでに冬眠しているはずだ」と強調する。子グマについては「親グマが捕獲され、冬眠の仕方も分からずにいるのだろう」と話した。

 宮城県自然保護課は「今後も出没する可能性は十分あり得る」と、住民に厳冬期としては異例の注意を呼びかけているそうです。

 

暖冬にしろ、山にえさが少ないにしろ、どちらにしても人間の責任は大きいと思います。

Jan 19, 2007
『鬼は外』ではない!?

1169167156445126.jpgもうすぐ節分ですね。(2月3日)
節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいうのですが、特に立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視されており、一般には単に「節分」といえば春の節分を指すものとなっています。これは立春を新年と考えれば大晦日に相当する訳で、そのため前年の邪気を全て祓ってしまうための追儺(ついな)の行事が行われます。

 

 

その代表が「豆まき」ですね。
(もう何年もやっていないのですが・・・・・・・)

一般的な豆まきの口上は「鬼は外、福は内」で、少なくとも室町時代にはこの口上ができていたらしいのですが、そう言わないところも数多くあります。これは豆まきの風習が全国に普及していくなかで出来ていったバリエーションではなかろうかと思われます。

例えば起源がはっきりしているものとして、福島県の二本松地方では「鬼は外」とは言わないか、あるいは「鬼外」と「ワ」の音を抜かします。これは二本松藩の殿様は丹羽氏なので、「鬼は外」と言うと「お丹羽様外」になってしまうからだといわれています。

いつの時代も偉い人には気を使わないといけないようです!!

Jan 18, 2007
狛犬は外来犬!!
「狛犬」は「高麗犬」「胡麻太」とも書き、神社の入り口や拝殿の前などに置かれている一対の獣形像のことをいいます。 狛犬の原形はオリエント、インドにおけるライオン像で、それが中国大陸そして朝鮮半鳥を経て渡来しました。 沖縄県では「シーザー」といわれる獅子が、各家の屋根に魔除(まよけ)として置かれていますが、神社の狛犬も同様に、守護と魔除のために置かれています。 一般的に狛犬は、二匹で一対(いっつい)になっていて、一方は口を開け、一方は口を閉じ「阿吽(あうん)」を表しています。 しかし、一対とも口を開けていたり、閉じていたり、後ろ足で立っていたりする狛犬もあり、その形は実に多様あるようです。
Jan 17, 2007
受験シーズン到来!

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親御さん、受験生にはいやな季節がやってきますね。

 

受験と言えば当方はすぐ『絵馬』を思い出します。
(何故かわかりませんが・・・・)

 

祈願または祈願成就の感謝の証として神社に奉納する、馬の絵を描いた額のことを「絵馬」といいます。

 

 

 

 

 絵馬の形は、板の上部を山形にしたものが大半を占め、これにそれぞれの願い事を書いて奉納します。 日本では古くから、神さまの乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときには、神馬(じんめ)といって生きた馬を神に奉納する風習がありましたが、その代わりとして、板に馬の絵を描き奉納するようになったのが絵馬の起源とされています。 絵馬が一般大衆に広まったのは、鎌倉時代以後のことです。 その頃から、馬の絵の他にもさまざまな動物(キツネやへビなど、お祀りされている御祭神と関わりのある動物)も描かれるようになりました。 さらに時代が下るにつれて図柄は多様化し、病気平癒を願う絵馬(例えば、目を病んでいる人のために目の絵が描かれている絵馬など)の他に、安産や子育てなどの絵馬が次第に増えてきました。 最近では入学祈願や就職、良縁を求めるための絵馬が増えています。

Jan 15, 2007
井上鍋!?

【名前の由来】
実に単純で「井上家のオリジナル鍋料理」ということでこの名前だそうです。

【誕生秘話】
井上家ではもともと焼肉のタレを野菜炒めの調味料として使っていました。

ある日、いつものように野菜炒めに焼肉のタレを入れたところ量が多すぎて、味が濃くなってしまいました。

仕方なく味を薄くするため水を加えて煮込んでみたところ、これがおいしかったそうで井上鍋誕生のきっかけとなりました。

その後いろいろな食材を試して、現在のレシピになったと言われています。いわば失敗から生まれた鍋料理ですが、そうでなければ焼肉のタレを鍋のダシにする発想は生まれなかったように思います。

【レシピ】

〜材 料(4人分)〜
● 鶏肉モモ肉・・・400g
食べ盛りのお子様のいるご家庭ではこれより少し多い目がいいでしょう
● キャベツ・・・M寸半分
これを入れなければ井上鍋とは言わない!?
● もやし・・・200g
キャベツが少なければ2袋400gでもいいと思います
● ししとう・・・100g
これも井上鍋には欠かせない食材です
● ウインナー・・・赤色のもの適量
鍋にウインナー?と思うでしょうがこれが井上鍋によく合うのです
● 白菜キムチ・・・適量
辛い物好きな方は絶対入れましょう。井上鍋がグレードアップします
● 炊き立てのごはんとビール!!! どちらも多い目に用意しましょう


〜その他おすすめ具材〜
うどん、お餅、油揚げ、牛モツ、たら(白身魚)、椎茸など。うどんは特におすすめ!

※焼肉のたれは『金龍の焼肉のたれ』でしか井上鍋はできないそうです。
(当方はこのメーカーとは一切関係ございません。)

宜しければ試してみてはいかがですか!!

Jan 14, 2007
1月度一周忌合同供養祭!!

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本日、11時より

 

『1月度一周忌合同供養祭』

 

を執り行いました。

 

天候にも恵まれ、たくさんの方々にご参列頂きました。

 

 

 

 

次回2月度一周忌合同供養祭は

 

2月18日 午前 11:00より執り行う予定です。

Jan 13, 2007
いい迷惑!?

最近、『牡蠣』を食べていますか?
『ノロウイルスの猛威を振るう中、食べるわけないじゃん』って声が聞こえてきそうです。

 

カキの種類は世界中で約100種類、日本には22種類ほどが生息している。産地は広島県・宮城県を主で、旬は11月〜12月。一般的に英語の月間表記で“R”のつく月は、カキの産卵期にあたり、卵に栄養分がいくため味がよくなく食用には適さない。

 

カキを使ったメニューといえば、もみじおろしにだし・しょうゆをたらした『酢がき』を基本に、焼いてレモンをたらした『焼きガキ』、『カキフライ』、『土手鍋』など煮ても焼いても美味しく、“海のミルク”と呼ばれるほど栄養価が高い。中華料理のうまみのもと『オイスターソース(日本語では牡蠣油)』も字のごとく、カキが主原料。近年では国内外のカキを取り揃え、生食から調理カキまで数多くのカキメニューを出す「オイスターバー」が人気だそうです。


 ノロウイルスの原因とされるのは、海水中のノロウイルスが体内に濃縮蓄積されるため。厚生労働省による対策としては、調理の際中までよぉぉぉぉく火を通すこと!85℃以上1分間以上の加熱で感染性を失うとされている。まな板などの調理器具も二次感染を予防するため、使用後は熱湯消毒が必要となる。

 

せっかくの時季モノ、食べられないのはもったいないので、調理法に十分に注意した上でホッペタの落ちる美味しいカキ生活を楽しみたいものです。

Jan 11, 2007
アーメン!!

『アーメン』


私共や私の周りにもあまりこの言葉を聴く機会がないのですが、「アーメン」という意味は『まことに、ほんとうに』という意味のヘブライ語(amen)だそうです。

 

『まことに、かくあれし』の意味で用いられ、『主よ、この私の罪をお許しください。アーメン(まことにそうでありますように)』のように使うようです。

キリスト教が世界中に布教された時、『アーメン』という言葉は、各国の言葉に翻訳せず、そのまま使われるようになったとか。

 

日本で最初に『アーメン』が使用された例として、室町末期に来日したキリシタン宣教師による著【どちりいなきりしたん】(1591年刑)に「我らを凶悪よりのがしたまへ。あめん』があるそうです。

Jan 10, 2007
河豚!!


ふぐ鍋がおいしい季節になりました。
九州ではお隣の山口県下関が有名ですが、
当方の経験では、大分も捨てたもんじゃありません。
どこよりも安いしおいしかった思い出があります。

 

元々、「ふぐ」は平安時代には【布久(ふく)】【布久閉(ふくべ)】と呼ばれていたそうですが、江戸時代中頃から、関東で「ふぐ」と呼ぶようになり全国へ広がったそうですが、現在、下関や中国地方の一部では「ふく」と呼ばれているそうです。

 

なぜ『河豚』と書くのかというと、元々中国では揚子江・黄河など、海よりも河に生息する「ふぐ」が親しまれている為「河」が使われ、膨れた姿が豚に似ていることと、釣り上げた時の音が豚の鳴き声に似ている事から「豚」という字が使われるようになったそうです。

 

ちなみに昭和55年から下関ふく連盟によって、二月九日は「ふぐの日」に制定されているそうです。

Jan 09, 2007
十日恵比寿!!

お正月気分は抜けましたか!!

早いものでもう十日恵比寿です。

十日恵比寿について書こうと思ったのですが、

恵比寿様も入っている『七福神』について書こうと思います。

 

皆さん、ご存知の通り

『七福神』は

恵比須(えびす)・大黒(だいこく)・弁天(べんてん)・毘沙門(びしゃもん)・布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)

 

様達です。

 

七福神がいつ頃から信仰されるようになったのかは不明確ですが、一説によれば天海上人が徳川家康に「上様は七つの徳をお備えですね。寿老人の長寿、大黒の富財、福禄寿の人望、恵比寿の正直、弁財天の愛敬、毘沙門の威光、布袋の大量。この七神には七難即滅・七福即生の功徳があります。」と言ったのに家康が喜び、狩野法眼深幽に七福神の絵を描かせて尊崇、これを各大名が見習ったために全国に広まった、とされます。
天海上人の言ったという「七難即滅・七福即生」は仁王般若波羅密経にある言葉ですが、実際には七福神信仰は家康の時代よりやや早い頃から起こっていたようです。その天海上人の時代、江戸初期に設定されていた七福神は不忍の弁財天、谷中感応寺の毘沙門、同所長安寺の寿老人、日暮里青雲寺の恵比寿・大黒・布袋、田端西行庵の福禄寿という組み合せだったようです。

七福神は従ってこの頃には既に現在の組合せに落ちついていたようですが、そうなる以前は、福禄寿の代りに吉祥天を入れた組合せ、あるいは寿老人の代りに猩々を入れたものなどがあったようです。そもそも福禄寿と寿老人というのは同体異名なのでそれが2つ入っているというのはおかしなことではあります。元々同じ神なので絵に描かれる時も混乱があるようで、福禄寿の方を長い頭に描いている場合が多いようにも思いますが、両方長頭になっている場合もあるようです。鹿を連れていたら寿老人、鶴を連れていたら福禄寿だそうです。

この寿老人=福禄寿はどちらも南極老人星(カノープス)のことです。インドではアガスティアと呼ぶようですが、この星は南の地平線ギリギリに見えるので、この星を見ることができたら長生きするという伝説があり、北斗信仰とも関わっているようです。中国で生まれた信仰ですが、中国では南極老人星を天の大尉といい、また寿老人は1060年頃に実在した道士であるという説もあるようです。更に福禄寿については、福星・禄星・寿星という3つの星の信仰が合体したものであるという説もあります。

布袋も中国の神ですが、これは七福神の中で通常唯一実在した人物であるとされます。一説によれば中国五代の頃、後梁の明州・奉化県にいた禅僧で契此という和尚であったとされますが、他にもモデルに擬される人物は数人いたそうです。福徳の神・弥勒菩薩の化身と崇められたとのことです。

次に弁財天と毘沙門天ですが、これは仏教の所でも触れたようにインド起源の神です。

弁財天はインドではサラスヴァティで、ブラフマー(梵天)の娘であり妻でもある川の神ですが、日本での信仰では吉祥天との混同があり、同じ水神として市杵島姫命との習合があります。また、蛇をお使いにすることから宇迦御魂神との習合もあります。学問と技芸の神とされましたが、後に富財の神ともみなされるようになりました。(この為「弁才天」を「弁財天」と書くようになった)七福神の絵では琵琶を持った姿に描かれます。元々インドの尊像でもヴィーナを持っています。

毘沙門天は別名多聞天。四天王及び十二天の一で、北方を司り、須弥山の北を護っています。須弥山第4層の水精宮に住むとされます。元々光明神・幸福の神ですが、後には夜叉・羅刹を支配して国土を守護する武神とされました。妻の吉祥天・子供の五太子(最勝・独健・那咤・常見・善賦師)と八大薬叉(宝賢・満賢・散支・婆多祁哩・醯摩縛迦・毘灑迦・阿咤縛迦・半遮羅)を従えています。

大黒はインド起源の大黒天(マハーカーラ。シヴァの分霊)に日本の大国主命の信仰が合体したものです。結果この神は両方の要素を引き継いでおり、古事記に見られる袋をかついだ大国様の要素とシヴァ神に見られる性の要素を持った豊饒の神・農耕神と考えられています。近年の絵では右側に袋をかつぎ、左手に打出小槌(うちでのこづち)を持っています。打出小槌の打面には如意宝珠の模様が入っています。

そして恵比寿ですが、基本的な神格としては「えびす」という言葉のとおり、外界から来た<稀人(まれびと)>のことであったと思われますが、いざなぎ・いざなみの第一子である「ひるこ」が西宮に流れついて成長した神であるという伝説を元に「蛭子」と書いて「えびす」とも読みます。又この神は大国主神の子供の事代主神であるという説もあり、また海彦山彦伝説の山幸彦であるという説もあります。稀人であることから少彦名神だという説もあります。鯛を持った姿で描かれますので、漁業の神としての性質もあると考えられます。「えびす」という音が「海老」を連想させるという面もあるのでしょう。

一般にこの恵比須と大黒を特に取り上げて「恵比須・大黒」として家庭内などてよく祭っています。

恵比寿が蛭子であれば高天原系の神ということになり、大黒−大国主神は出雲系の神ですから、この二神を一緒に祀ることは、日本の神の二大系統を合わせて祀ることになります。恵比寿が事代主神であれば、親子神を祀っていることになります。また少彦名神であれば、大国主神と二人で一緒に国中を歩き回り日本を作った神ということになります。また大国主神が農業神・恵比寿が漁業神とすると、二大産業の守り神で合わせて豊饒の神ということになります。また、えびすが外来神で大国主が日本の国土開発の神とすれば、日本に元からいた人々と中国・朝鮮などから渡ってきた人との神を合わせて祭り融合和睦を願っていることになります。

このあたりは、おそらく色々な人が色々な意見を持っているのではないかと思います。

七福神は江戸時代頃からしばしば宝船に乗った情景を描かれるようになりました。正月にこの宝船に乗った七福神の絵に「長き世のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ)を添えて枕の下に入れると、よい夢が見られるという言い伝えが出来上がっています。

Jan 03, 2007
新年明けましておめでとうございます!!

1167808283143863.jpg新年明けましておめでとうございます。

 

本年も何卒宜しくお願い致します。