田宮流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
田宮流(たみやりゅう)は居合の始祖と言われる林崎重信(林崎甚助)の五大高弟の一人、田宮重正が開いた居合と剣術の流派。
流名は、紀州藩初代藩主、徳川頼宣に仕えた、二代目の田宮長勝の頃より田宮流と称した。
紀州藩での田宮流は、田宮家は五代目で一度断絶した(養子相続により田宮家は存続)ため、断絶以前を「古田宮流」と呼び、それ以降は「紀州田宮流」と呼ぶ場合もある。(いずれも通称である)現在では紀州藩伝の田宮流は失伝したと考えられる。
紀州藩での田宮家断絶後も多くの地域で伝承されていたが、ほとんどが失伝している。現存しているのは、分派ではあるが窪田派田宮流の真貝忠篤の系統が現存している。また、紀州藩の支藩であった伊予西条藩(紀州家、御連枝)に伝承された田宮流から分かれた田宮神剣流(西条市無形文化財指定)が、「田宮流居合術」と称している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[PR]
菫の日記ナズナの日記イチリンソウの日記ハコベの日記シロツメクサの日記スイカズラの日記スイセンの日記菊の日記ミズバショウの日記アヤメの日記