講談
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講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。
演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。
目次
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* 1 歴史
* 2 題材
* 3 代表的な演目
* 4 落語との違い
* 5 講談師
* 6 関連項目
* 7 外部リンク
[編集] 歴史
起源は戦国時代の御伽衆(おとぎしゅう)であると言われているが、寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈(つじこうしゃく、または町講釈)に求めることができる。辻講釈は太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語るものである。
宝永年間には公許の常設小屋で上演されるようになり、講釈と呼ばれるようになった。文政年間には話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生した。他の芸能との交流も進み、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。明治時代になって後、講釈は講談と呼ばれるようになった。
江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎えた。明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ。また、新聞や雑誌に講談が連載されるようにもなった。しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰微していった。第二次大戦後はGHQにより、封建制度の擁護や復讐の賛美などの要素があるとして一部の演目が上演を禁止された。禁止が解除された後も、テレビの台頭や多様化する大衆の嗜好に取り残され気味の状態が続いている。
なお戦後上方講談では講談師は戦後上方落語とおなじく衰退し、二代目旭堂南陵、三代目旭堂南陵父子のみの状態であった。現在も数は多くは無いが、三代目南陵の弟子たちにより地道な活動が続けられ当面の危機は脱した模様である。
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