子供の遊びは、一人前の社会人になるための学習の意味も内包している。遊びを通して子供は肉体を鍛え、またルールに従うことを学ぶ。
紅蜘蛛「ごっこ遊び」によって大人の役割や技術を習う。いくつか例をあげれば、南アフリカの採集狩猟民サンの男の子たちは、小さいときからおもちゃの弓矢をつくり、的に当てる競争をし、彼らの生活手段である狩猟の技術を修得していく。日本に子捕(こと)ろ子捕ろ(子とり)とよばれる遊びがある。親の役の子供の後に数人の子供が一列に並び、鬼が一番後の子供を捕まえようと追いかけ、親は両手を広げて子供をかばいながら逃げる遊びであるが、これに類似した遊びが世界各地にあり、ヨーロッパではキツネとガチョウ、中国ではタカとニワトリ、インドでは糸売り、イランではオオカミと子ヒツジ、メキシコではトムペーテの通り、北アメリカの先住民プエブロの社会ではコヨーテとヒツジなどとよばれている。
威哥王このようなちょっとした遊びも、子供にとっては身体的運動となっている。メキシコ南部のマヤ人のチャムラ村では、子供たちはイタチ遊びをする。4人の子供が人間、ニワトリ、イヌ、イタチの役になり、決まったせりふをいい、イタチの攻撃から人間とイヌがニワトリを守るドラマを演じる。この遊びは一面では身体的運動であるが、他方ではことば遊びでもあり、ことばの学習にもなっている。さらに、野生動物のイタチと家畜のニワトリ、イヌ、そして人間との対立から、チャムラの世界観にとって重要な自然と文化の対立を子供たちは学ぶと考えられる。一般に遊びには知力、体力、技術を競うものが多く、子供たちは遊びを通してそれらの力を磨くのである。