キツネ

February, 2011
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歴史

日本の狩猟時代の考古学的資料によると、キツネの犬歯に穴を開けて首にかけた、約5500年前の装飾品[4]やキツネの下顎骨に穴を開け、彩色された護符のような、縄文前期の(網走市大洞穴遺跡)ペンダント[5]が発掘されている。またキツネの生息域にあり、貝塚の中に様々な獣骨が見つかりながら、キツネだけが全く出てこないような地域(福井県)も存在する[6]。

日本人がキツネを稲と関連させた起源は、文化人類学的推察にもとづく農耕民族の必然だったとする必然起因説と、歴史学的手法に基づいて推察して、神の名に「狐」を宛てたことによるとする、誤解起因説の二通りがあって特定はされておらず、その後大陸より渡来した秦氏の勢力によって、キツネは稲荷神の眷属に収まったという流れになっている。

稲作には、穀物を食するネズミや田の土手に穴を開けて水を抜くハタネズミが与える被害がつきまとう。 稲作が始まってから江戸時代までの間に、日本人はキツネがネズミの天敵であることに注目し、キツネの尿のついた石にネズミに対する忌避効果がある事に気づき、田の付近に祠を設置して、油揚げ等で餌付けすることで、忌避効果を持続させる摂理があることを経験から学んで、信仰と共にキツネを大切にする文化を獲得した[7]。
日本古来の世界観は山はそれ自体が山神であって、山神から派生する古木も石も獣(キツネ)もまた神であるというが基としてあると言われている[8]。
民間伝承の狐神信仰の発生がいつ始まったかの特定は難しいとした上で、発生の順番から考えて、土地が開墾される以前にキツネが生息しており、畏敬された狐神と稲荷の結合は、田の神信仰と稲荷の結合に先立つであろうと言われている[8]。
一方、稲荷神社の神は、宇迦之御霊神別名御食神(みけつがみ)であって三狐神と書き誤って、日本中に誤解が定着したという説も根強く、有力な説である。
『日本書紀』斉明5年(659年)には、(皇孫建王が唖であったために?)神の宮(島根県八束郡八雲村の熊野神社)を改修し始めた直後、狐が現われて柱を曳く蔓の綱を根元から食い切り、狗(山犬)が現われて死人の手を言屋社(いうやのやしろ)(島根県八束郡東出雲町の揖屋神社)に残したという記事(つまりみかどの死の予兆が下された)が残されている[9]。
とにかく正史に狐の記事が記載されたのは、『日本書紀』斉明記3年(657年)石見に現れた白狐の記事であり[9]、伝記に狐が記載されたのは『日本霊異記』欽明天皇の時代(540年-571年)とされている[3]。キツネが騙す、化ける妖怪の一種であるという概念は、仏教と共に伝来したもので、中国の九尾狐の伝説に影響されたものである[3]。 

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